2011年6月20日月曜日

にちようび

JITTERIN'JINN、いまジッタリンジンって打ったら、
普通に変換された。賢すぎ。

そう、JITTERIN'JINNににちようびっていう歌があったね。

友だちのお兄さんの彼女がジッタリンジン好きだったので、友だちがMDをかしてくれた、
そんな思い出。



今日はSUNDAY-ISSUEっていうギャラリーが気になった。

そんで、今日はこんな気分。まつきあゆむ。



最近、まじで二の腕がやばい。
でもプレッツェルがおいしい。カルディで買いました。
どうしたいんだ私は。

2011年6月12日日曜日

気持ちをちょっと

入れ替えたいなあ、と思って、
旅の本をちょっと読みました。
松浦弥太郎の「場所はいつも旅先だった」
っていう本なんだけど。

松浦弥太郎は、前にPOOKAっていう雑誌で、
詩か短いお話を書いているのを見て、
覚えてて、この本を買いました。

文章が短くて、分かりやすくて、少しさみしい感じで良いです。

ショートショートなので、選んで読んでるんだけど、
その中で「母のこと」
っていうお話がとても好きだと思いました。

内容は、ニューヨークに著者が行くんだけど、
その事を著者の母親に言うと、
「あ、そう」
という素っ気ない返事。

小さい頃から両親は共働きで、
早くから精神的に自立してたから、
特に気にもとめない著者。
でも、心細さを紛らわすために、
宿泊先のホテルの電話番号と住所を母に渡す。

宿泊先のニューヨークは冬で、
著者がホテルで寝込んでいると、めずしく
ホテルのフロントに母から電話が。

かぜをひいたよ、というと、
「あ、そう」
といつもの返事。

でも、数日後に、そのお母さんは
ホテルまでやって来てしまうのです。
友だちに会いに来たとうそをついて、日帰りで。
おもちと、オーブントースター、風邪薬をもって。
(筆者は18で渡米している模様)

っていう話なんだけど、
もっと細かい出来事があって、
ジンとしました。
著者の人は、後に「暮らしの手帳」の編集長をやってたみたいね。

うちはどっちかって言うと、絵本の雑誌の方をデザインの雑誌より読むから、
詩人とか、絵本作家だと思ってた人がデザイナーや、出版に関わっている人、
だと変な感じ、というかビックリする。

宇野亜喜良はもう、ずうっと絵本作家だと思ってたけど、
ついこの間、日本デザインセンター出身だと知った。
無知。

と、気持ちを入れ替えるために髪型を変えました。
生活習慣、みなおすぞ。
寝ます。

2011年6月6日月曜日

宮城

実家に帰って来ましたー!!

色んな報告も含め、て。
もっと早く帰れば良かったなあ、と思いました。

帰った次の日に、岩沼の仙台空港に行って来ました。
閖上はもう立ち入り禁止で入れないみたいでした。


空港は壁に波の痕とか、
その途中の道の荒野にぽつんてソファーがあったりして
異常と言うか、なんて思えばいいのか、、、
という感じでした。

木も根こそぎ抜けてて、大きな、田んぼくらいの水たまりに倒れてて。

そんな中で、岩沼は道路が使えたり、空港も動いていて、
ボランティアの人や、働いている人、地元の人に敬服というか、
頭がさがるというか、言葉が貧困だけどそう思いました。

テレビでは、石巻の津波の被害を受けた小学生が、
しっかりとインタビューを受けていて、
自分らが伝えなくてはいけない、と話していました。


それとは別に、
父の出身が福島なので、
どうしようもなく、悲しく思ったのは、

父が、
実家の前の道も、もう歩けないという話と、
チェルノブイリが30年なら、
もう生きているうちに福島の祖父(父の父)の墓参りもできない、
という事。20Km圏内だから。

父はなんともなしに、そう言ったけど、
ずっとその事を考えているんだろうと思った。

そんな思いをしている人は沢山いるし、
それ以上の思いをしている人も沢山いるんだろう。


ただ、東北の人はみんな辛抱強くて、まじめで、
粛々と、前向きに進んでいると思った。

もしも、本当に祖父の墓が取り残される事になったら、
将来うちが、拝みに行けるところに連れてこなきゃいけないし、
この、父の気持ちや感じた事を忘れたくないと思ってブログを書きました。