2011年6月6日月曜日

宮城

実家に帰って来ましたー!!

色んな報告も含め、て。
もっと早く帰れば良かったなあ、と思いました。

帰った次の日に、岩沼の仙台空港に行って来ました。
閖上はもう立ち入り禁止で入れないみたいでした。


空港は壁に波の痕とか、
その途中の道の荒野にぽつんてソファーがあったりして
異常と言うか、なんて思えばいいのか、、、
という感じでした。

木も根こそぎ抜けてて、大きな、田んぼくらいの水たまりに倒れてて。

そんな中で、岩沼は道路が使えたり、空港も動いていて、
ボランティアの人や、働いている人、地元の人に敬服というか、
頭がさがるというか、言葉が貧困だけどそう思いました。

テレビでは、石巻の津波の被害を受けた小学生が、
しっかりとインタビューを受けていて、
自分らが伝えなくてはいけない、と話していました。


それとは別に、
父の出身が福島なので、
どうしようもなく、悲しく思ったのは、

父が、
実家の前の道も、もう歩けないという話と、
チェルノブイリが30年なら、
もう生きているうちに福島の祖父(父の父)の墓参りもできない、
という事。20Km圏内だから。

父はなんともなしに、そう言ったけど、
ずっとその事を考えているんだろうと思った。

そんな思いをしている人は沢山いるし、
それ以上の思いをしている人も沢山いるんだろう。


ただ、東北の人はみんな辛抱強くて、まじめで、
粛々と、前向きに進んでいると思った。

もしも、本当に祖父の墓が取り残される事になったら、
将来うちが、拝みに行けるところに連れてこなきゃいけないし、
この、父の気持ちや感じた事を忘れたくないと思ってブログを書きました。

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